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自 力 本 願

おはようございます。 昨日に続き今日も暖かいようですが、 またその後は寒さが来るようなので 寒暖差に気を付けないといけないですね。 今日のテーマは 『自力本願』 。 この言葉はそもそも高校生の頃の信念でした。 予備校講師である元井太郎氏が念仏のように唱えたからです。 (当時、崇拝しておりました) そして “受験レベル” までは “ほぼ” 自力本願で、 がむしゃらな努力で何とか目標に到達できます。 あえて強調したのは、 そのレベルですら 外在的要因 が存在するからです。 (たとえば、倍率や得意・不得意分野、そして当日の環境) 受験のさらに先のレベルになってくると、 徐々に自分がコントロールできる範囲が減ってきます。 (就職、結婚、出世…。) それにも関わらず、幼少期や青年期の頃の感覚で 「自分さえ努力すれば道は開ける」 と考えていると、 壁 にぶつかります。 自衛隊にいらっしゃった下園さんという方は、 それが現代の 鬱 病に繋がるという指摘をされています。 そんな自分の力が及ばない、 全くコントロール不可能だという状況になった時、 人は なにかにすがりたくなる ものです。 それは ギャンブルか もしれません。 または お酒 かもしれません。 はたまた 女 かもしれません。 (いわゆる飲む・打つ・買う) そして古代における卑弥呼の時代から 脈々と人々を魅了してきたのが 宗教 です。 日本国憲法 20 条 1 項前段は、こう規定しています。 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 僕自身、ニッチモサッチもいかなくなった時、 宗教に足が向きました。 ここでは憲法を尊重する精神から、 宗教について否定も肯定もしません。 ただ事実としては、僕は熱心に活動をすることもなく、 宗教に対して自ら身を引くことになりました。 結局のところ、初心である“自力本願”に 戻ってきたわけです。 努力したからといって必ずしも報われないかもしれません。 でも棚ぼたを期待して、ただ手をこまねいているより...

カルマに挑む

こんばんは、秀虎です !! 色々わやな状況になっていた、 来月の祖父の 7 回忌に参加することにしました。 それはある思いを秘めて。 今回の法事は母方の父、 つまり私の祖父にあたります。 母方の祖母は物心つく頃に亡くなり、 晩年の祖父は田舎のとある島から 叔母の家の近くに住んでおりました。 その晩年に祖父ですら知っている 大学に合格したことを報告できたこと、 これが唯一の祖父孝行だったかもしません。 一方、私の父方の祖父母は健在“なよう”です。 あえて強調したのは、よく知らないからです。 嫁・姑間の確執があり、 私と妹に愛情が注がれることはありませんでした。 私と両祖父母との関係が明らかになったところで、 もう少し突っ込んだお話をします。 母方の家系は大変な働き者の家系でした。 その勤勉さは母に、そして私の妹に 脈々と受け継がれています。 反対に、父方の家系は勤勉さとは正反対の家系です。 特に男系はみなことごとく世間で使い物にならず、 どうやって生計を立てているのか謎なほどです。 そこで最近思うのは、 今僕が苦しい状況にあるということは この先祖同士の血が合わさった男系であるということに 原因があるのではないかな、ということです。 つまり、勤勉な母方の血と怠け者の父方の血。 その怠け者のカルマから抜け出そうとしているのが、 今の僕の姿ではないかと思うのです。 そんなことに気付いた今日この頃。 法事は年初から予定されていたので、 セレンデピィティと呼べるかもしれない発見です。 だから、今回の法事には 特別な思いで臨みます。 「祖父よ、どうか私の背中を押してください」 そんな思いを込めて、 カルマを断ち切る第一歩としたいのです。 様々な力をお借りしながら、 必ず因縁を跳ね除けてみます。 Bonafide Law Hustler   秀 虎

エゴと利他のバランス

おはようございます、秀虎です !! 昨日の文房具コレクションはいかがだったでしょうか ? 私自身、初の試みとなるんですが、 今後は YOU   TUBE で補足するのも いいかもしれないと考えています。 (※但し、顔は出しません笑) さて、今日考えたいテーマは 「 エゴ と 利他 」です。 そのバランス、今はそこが私の課題なのかな と感じているところです。 仏教を学ぶ中でも、またビジネス書でも 盛んに「 利他 のススメ」がなされています。 そして、さきほど以下の本を読んでいて 驚愕の事実を知りました。 その記載によれば、私の出勤拒否症の根源には 強いエゴ が隠れているというのです。 た、確かに 強欲 ともいえる エゴ の持ち主です。 でも、こんな私でも 利他 に徹することもあるんですね。 それは自分の専門知識や経験を生かせている時です。 自分のことなど忘れ、相手中心の思考に夢中です。 それはまさに我を忘れるという境地。 学生時代まではそういう経験もいくつかありましたが、 社会に出てからはそういった心境に達することは ほとんどありませんでした。 それはそのバランスが エゴ に偏っていたからかもしれません。 つまり、 利他 の心が欠けていました。 たとえば一つの会社があるとしましょう。 その理念が某居酒屋のように、 たくさんの「ありがとう」を集めることを 掲げているとします。 そういう 利他 を掲げながらも、 会社の本質は営利性です。 分かりやすく言えば、金儲けに目的があるのです。 とすれば、 建前=利他 だけれども、 本音≠エゴ なのではないかと考えている自分がいました。 ただ、今ここで綴る中で気付いたことは、 双方の目的は並立しうる ということです。 私の最近お気に入りの言葉が、 「精神的であれ、物質的であれ、富がもたらされる過程は   感謝 という一語に要約することができる。  私が 感謝 の心を持たないとしたら豊かさとは縁遠...

電卓じゃ弾けない

おはようございます、秀虎です !! 現在の鬱の症状 ですが、 相変わらず 眠れていない のと 食欲が湧きません 。 それでも少しずつ改善してきて、 睡眠に関してはやや問題がありますけれど、 食欲は 食べれる日も増えてきました 。 ( これまでは馬鹿みたいに食べていました ) さて、本題。 先週くらいから、学生時代からの愛読書である 「 7 つの習慣」 を何度目か読み直しています。 『小手先のテクニックでなしに、 人格を磨くことなくして真の成功はあり得ない』 これはそのように主張する本です。 ビジネスマンの間で バイブル になったほどの本です。 やはりみなさん 人格を磨くことの重要性 を察しているんですね。 ( それでも何故こんなに生きづらい殺伐とした世の中なのか… ) 先日、 仏教 を学んでいるお話をしました。 それは私自身が図らずも仏教という形で、 人格を磨きたいと思ったからに他なりません。 結局、 最後に物言うのは人格・人柄・人徳 でしかないと思っています。 たとえば映画「ペイ・フォワード」のように、 親切にしてあげたものは必ず何かの形で返ってくる んですね。 このブログタイトルにあるように私は 底辺ピラミッド にいます。 それでも、こんなポンコツな私でも、 無私な心で私を助けてくれる方々に支えられています。 頼りにしてくる人も多くいます。 それに気付いたのが、今年に入ってからです。 私自身、至らぬ点も多く 人徳に優れているとは思っていません。 ただ、 自分の中で絶対に守ってきたルール があります。 それは礼儀を忘れないこと。 挨拶をきちんとする、丁寧にお礼をする、 また周囲に困っている人がいたら積極的に手を差し伸べる等。 悲惨な現状でも支えてくれる方がいるという事実は、 こういった心構えの美しい見返りなのかなと考えています。 時には、自分自身の利害から離れてみること。 これを意識するだけで、人生が少しでも好転するかもしれません。 勉強コンサルタント  秀虎

左?右?―Ghetto Soul-

こんばんは、秀虎です !! 当ブログも落ち着いてきたため、 前回のエントリを Twitter でご紹介すると 多くの方に見て頂けるようになりました。 今後ともどうぞよろしくお願い致します !! さて昨日のエントリで、 私は 正義感が強い というお話をしました。 だから、道を歩いていたりしても、 左側通行が基本だと思っているので 自分が左を歩いていて前から人が来ても 絶対に譲りませんでした。 「自分が正しい。  だから相手が間違っている。」 と、心の中でつぶやいて…。 この精神の元を辿ると、 私の Ghetto で暮らした青年時代の根強い経験 から来ています。 歌舞伎町よりも治安が悪いと紹介されたE区。 そこでは、今では笑い話なんですが、 まさに “ Do or Die ” の世界。 私の場合、地元の不良と目があったときには 目をそらした方が“負け”でした。 そして前からツッパリが歩いてくれば、 道を譲った方が“負け”でした。 今思うと、とてもくだらないんですが、 「三つ子の魂 百まで」 と言われるように この歪んだ精神が残っているんですね。 本当はたとえば石田純一さんのような “ジェントルマン” になりたい。 一方で、逃げたら“負け”というような GhettoSoul が抜けきっていない。 最近は、この 矛盾 した気持ちの間で 葛藤 しています。 鬱の苦しみの根源にはこんな気持ちも 一因なのではないかなと推測しています。 ただ、幸いにも現在は 仏教 を学ぶ機会に恵まれました。 もちろん宗教というだけで嫌悪感を示される方が大多数だと思いますので、 ここで布教・勧誘活動する気は毛頭ございません。 だから宗派も伏せさせて頂きます。 ただ、そこで学んでいることは 「他者の力になれるような人間になりなさい」 ということです。 他者の力になれるには、 自分自身がしっかりと地に足をつけていなければなりません。 そこから自分を振り返ると、 私はまだまだ精進の余地があ...