こんばんは、秀虎です!!
当ブログも落ち着いてきたため、
前回のエントリをTwitterでご紹介すると
多くの方に見て頂けるようになりました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します!!
さて昨日のエントリで、
私は正義感が強いというお話をしました。
だから、道を歩いていたりしても、
左側通行が基本だと思っているので
自分が左を歩いていて前から人が来ても
絶対に譲りませんでした。
「自分が正しい。
だから相手が間違っている。」
と、心の中でつぶやいて…。
この精神の元を辿ると、
私のGhettoで暮らした青年時代の根強い経験から来ています。
歌舞伎町よりも治安が悪いと紹介されたE区。
そこでは、今では笑い話なんですが、
まさに“Do or Die”の世界。
私の場合、地元の不良と目があったときには
目をそらした方が“負け”でした。
そして前からツッパリが歩いてくれば、
道を譲った方が“負け”でした。
今思うと、とてもくだらないんですが、
「三つ子の魂 百まで」と言われるように
この歪んだ精神が残っているんですね。
本当はたとえば石田純一さんのような“ジェントルマン”になりたい。
一方で、逃げたら“負け”というようなGhettoSoulが抜けきっていない。
最近は、この矛盾した気持ちの間で葛藤しています。
鬱の苦しみの根源にはこんな気持ちも
一因なのではないかなと推測しています。
ただ、幸いにも現在は仏教を学ぶ機会に恵まれました。
もちろん宗教というだけで嫌悪感を示される方が大多数だと思いますので、
ここで布教・勧誘活動する気は毛頭ございません。
だから宗派も伏せさせて頂きます。
ただ、そこで学んでいることは
「他者の力になれるような人間になりなさい」
ということです。
他者の力になれるには、
自分自身がしっかりと地に足をつけていなければなりません。
そこから自分を振り返ると、
私はまだまだ精進の余地があり、
自らの至らぬところは改善し、良きところは伸ばしていこうと思います。
秀虎
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