こんにちは。
桜が見頃なんでしょうけど、
あいにく我が家の近所には咲いていません。
その為、イマイチSpring has come!!(春が来た)という感覚がありません。
千葉県は緑が少ないし、道は狭い。
僕の地元の江戸川区 K TOWNとは正反対です。
(かといって埼玉だけは住みたくありません(笑))
最近は体調を崩しながらもぼちぼち仕事をさせてもらっています。
(季節の変わり目に必ず体調を壊す)
僕は一時一人でmake moneyしようと企んでいました。
けれども、どうしても会社という看板がなければmakeできませんでした。
以前、「ぶら下がるのも実力」ということをお話したと思いますが、
実力がなくても看板にぶら下がれば、決まった日にお給料が入ります。
会社という看板は偉大です。
でも、そんな会社は「ぶら下がる」こと(=忠誠心)を要求するため、
なぜか面接時にはこれまでの経歴の一貫性を求めてきます。
(以前、Yahooニュースに「ダメな面接官は一貫性を求める」
という記事が上がっていました)
ですが、この日本に一貫性をキープし続ける人は多いでしょうか?
僕は一貫性というのは惰性に他ならないと考えています。
人間としての進歩がないのではないか、そんな危惧があります。
多様な経験があるからこそ、
あらゆる業務に対応できる柔軟性が備わることだってあります。
いわゆる潰しが効くということかもしれません。
とにもかくにも、財布薄いのは寂しいことです。
僕の親戚のおばさんはお金がないときは、
「イタイ、イタイ」と泣き叫んでいたとか。
それくらい貧乏というのはストレスであり、一種の病かもしれません。
そこから離れるには
「働いて、働いて
足りない手 待たないで」(Ryo the skywalker)
という気持ちで一心不乱に働くのみです。
「MakeするためにBrakeして
BrakeするためにBrakeして」
(Mummy-D)
Bonafide Law
Hustler
秀 虎
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