こんばんは、秀虎です!!
最近は練マザのD.Oさんが個人的に熱いです。
(知らない人はYouTubeでリンカーンを観てください!!)
思えば、大学を卒業して2年目の夏は漢a.k.a GAMIの「Murderation」を
ずっと就活移動中の電車で聴いていました。
ラップには生き様が出ます。
その生き様がトラックであったり、リリックに滲み出てきて
リスナーはそこに惚れるのです。
言霊といううまい言葉がありますが、まさに言いえて妙。
こうしてブログというツールを使って発信する立場に立っている私も
自戒を込めて改めてそう感じます。
さて、本題の「鬱との距離感」について。
私がパニック障害を患った10年前と比較すると、
心の病気というのも広く世間に知られることになり
周囲の理解も増してきました。
そのためかどうかは分かりませんが、
いかに安易に精神疾患を患っていることを晒す人の多いことか、
と疑問に思うことが増えています。
たとえば初対面でいきなり鬱なんだとカミングアウトされたところで、
打ち明けた方はスッキリするのかもしれませんが、
された方はたまったものではありません。
もちろんこれは個人的な感じ方の問題かもしれませんし、
日本人ならではの恥の意識が強く働いているのかもしれません。
ただそのために鬱をはじめとする精神疾患が軽んじられることがあってはなりません。
誰にも言えず、苦しんでいる人も確かにいるのです。
私の最近見直した鬱とのルール。
それは
「基本的にはクローズだが、但し迷惑を掛ける場合を除く。」
というものです。
距離のある友人や知り合い(ましたや初対面の人)には、
特に知らせる必要がありません。
これらの人々には元気な自分を知っていてもらえば十分だからです。
下手に気を遣わせるのは、むしろ逆なのです。
一方で、交際相手や親しい友人、職場などは別途考慮が必要です。
どうしてもそれら対象との距離が近い分、迷惑を掛けるリスクも大きくなるからです。
ゆえに知っておいてもらう必要性が高くなります。
就職などの際には特に精神疾患は極めて不利です。
それは扱いが難しいということもありますが、
目に見えない障害なだけに偏見も大きいのではないかと思っています。
私は一鬱病患者として、社会との共存を望みます。
周囲にも多く疾患を抱えている友人などおりますが、
それだけ社会が殺伐としていないでしょうか。
誠実な患者側の意識が、社会をいい方向へ変えていく事を願っています。
秀虎
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